御開帳のシンボル「回向柱」が松代から善光寺へ
善光寺御開帳のシンボルと言えるのが、本堂前に建立される回向柱です。
この回向柱は、45センチ角に高さは10メートル、重さは約10トンもあります。
現在の善光寺本堂は、江戸時代の宝永4(1707)年に再建されたものですが、その際に松代藩が普請奉行となって本堂が再建された縁により、毎回、松代町から奉納・寄進されています。
2022年御開帳の回向柱は、須坂市豊丘地区の樹齢200年近い杉の木が選ばれています。
回向柱の木は、伝統的にはアカマツを用いる習わしでしたが、平成15年以降の御開帳ではスギが用いられています
回向柱は、3月27日に長野市松代町の有志が結成した善光寺回向柱寄進建立会によって松代町を練り歩いた後、善光寺へとやってきます。
回向柱が善光寺大門に到着
2022年3月27日(日)は晴天で気温も高く、回向柱受入式には最高の日となりました。
松代から善光寺大門へ回向柱が運ばれてきました。
善光寺大門は善光寺に運び込まれる回向柱を一目見ようと、たくさんの参拝客が見物しており、人で埋め尽くされていました。
回向柱は二本あり、一本は「善光寺回向柱」で、もう一本は「社会道供養塔」と書かれています。また、いずれも令和四年善光寺回向柱寄進建立会とも書かれています。
善光寺大門でちょっとしたセレモニーが行われ、いよいよ善光寺境内へと進みながら本堂へ運ばれることになります。
過去には、松代町が用意した本物の牛が回向柱を引いていたのですが、2022年は牛の姿は見ることができませんでした。
また、普段は長野駅から善光寺までの2キロメートルの距離を運んでいましたが、今回は善光寺大門からの出発となりました。
新型コロナウイルス感染症の影響で、いつもの回向柱受入式を少し縮小することで安全に行ったようです。
例年ですと、善光寺本堂へ向けて運ぶ途中で、引き綱に触れることでご利益があると言われていたのですが、今回は厳戒態勢のなか、引き綱に触れるようなことは不可能となっていました。
本堂に引かれる回向柱
大門の信号を出発して、善光寺境内に回向柱が引かれていきます。
善光寺大門から仁王門まで
仁王門手前では、回向柱を一目見ようとたくさんの人が待ち構えています。w
若い人も多くいました。
木遣りが善光寺境内に入ります。
木遣りは歌をうたいながら前に進んでいきます。
松代藩のお殿様が善光寺境内に入ります。
普請奉行の小山田平太夫です。
宝永4年(1707)年に善光寺本堂が再建された際の、今でいうところの現場総監督といったところでしょう。
真田家14代当主の真田幸俊氏です。
真田家は善光寺の再建当時、松代藩の藩主でした。
木遣りはお殿様に続き、回向柱が善光寺境内に入っていきます。
回向柱は、かなりの人数で引いていましたが、それでも重そうな感じがしていました。少しの勾配があるだけでも運ぶのは大変そうに見えました。
仁王門から山門
善光寺の仁王門は階段があり、かなりの段数を登る必要があります。
一方、階段の脇にはスロープがあり、回向柱は階段を運ぶのではなくスロープを使って本堂へ進んでいきます。
回向柱は10メートルもの長さがあるため、スロープを出てそのまま直線で仲見世通りに入ることができないようで、仁王門を抜けたところで切り返す必要があります。
善光寺本堂に建てられる回向柱、釈迦堂に建てられる回向柱、ともに仁王門を切り返しながら仲見世通りに入っていきます。
3月27日に回向柱受入式が行われることを知らなかった観光客も多いようで、仲見世通りは普通に観光客が食べ歩きや買い回りをしていましたので、回向柱を引く奉納行列が入った途端、ややパニックに近い形になっていました。
善光寺山門から本堂へは、直線では階段しかありません。
重量のある回向柱は、階段を運ぶことは難しいようで、山門は通過せずに迂回することになります。
このまままっすぐに行けば本堂なのですが、いったん迂回していくことになります。
迂回するのは、駒返りの橋があるところです。
駒返りの橋を本堂に向かって右に曲がり、道路を通って山門を回り込み、いよいよ回向柱が本堂へ入っていきます。
本堂前ではすでに多くの参拝客が回向柱が引かれてくるのを待ち構えています。
回向柱が運ばれるのと同じペースで観光客も本堂に向かっていきますので、本堂前の人はどんどん膨れ上がっていきます。
回向柱受入式
いよいよ回向柱が本堂前に運び込まれ、回向柱受入式が行われます。
回向柱受入式は時間通りの14時30分より始まりました。
本堂には大勧進の貫主様と大本願のお上人様がおり、回向柱が善光寺に奉納されました。
回向柱が本堂前に運ばれるタイミングで、花火が上がりました。
回向柱を一目見ようと、本堂前には多くの参拝者が受入式を見守っていました。
近くで見ると回向柱の大きさが良く分かります。
回向柱受入式後に運ばれる回向柱
回向柱受入式の後は、本堂前からすぐに回向柱は動かされました。
本堂近くに経蔵がありますが、経蔵の隣に長いテントが設置されており、そのテントの中に回向柱は収められました。
回向柱は、何度も切り返しをしながら、テントの中に収めらえました。
テント内では、回向柱を乗せていた車から柱が降ろされていました。
この後、4月1日(金)には回向柱建立式が行われ、いよいよ本堂前に回向柱が姿を現すことになります。