善光寺のご本尊は三国伝来の「日本最古の御仏」といわれています。
善光寺縁起によると、善光寺如来は日本に渡ってから約100年後、信州長野に運ばれてから10年ほどが立つ頃に自身のお告げにより、お隠れになったとされています。
それ以降、7年に一度の御開帳にさえ姿を見せず、善光寺本堂奥の厨子の中に安置されています。(御開帳で公開されるのは前立本尊といい、ご本尊を模鋳したものです))ですから、善光寺のご本尊は絶対秘仏であり、現在に至るまで参拝者ばかりでなく、善光寺の僧侶でさえ見たことがありません。
つまり、今までに誰も見たことがないということです。
では、善光寺のご本尊はどのような姿をしているのでしょうか?
あらためて、善光寺の前立本尊(善光寺式阿弥陀三尊像)を確認してみましょう。
前立本尊とは
前立本尊とは、信州善行寺御本尊の身代わりともいえるもので、御本尊が忠実に模写されているものとされています。
また、前立本尊が作られたのは鎌倉初期であると伝えられています。
善光寺の御本尊は完全非公開であり誰も見ることは永久にできないわけですが、前立本尊の姿形は御本尊と全く同じであると考えてよいわけです。
阿弥陀如来を中心に、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊が一つの光背(大型の舟型光背)を背にして立っています。
中央の阿弥陀如来の右手の印相(手の形)は、手のひらを開いて前面にかざす施無畏印(せむいいん)と呼ばれ、衆生の畏れを取り除くことを意味しています。
左手の印相には大きな特徴があり、手を下げ、第二指、第三指を伸ばし、他の指を曲げた形をしており、刀剣印(とうけんいん)と呼ばれるとても珍しい印相です。
左右の菩薩の印相も、梵篋印(ぼんきょういん)と呼ばれ、胸の前に左右の手のひらを上下に重ね合わせる珍しい格好をしています。中には真珠の薬箱があると、善光寺縁起では伝えられています。
三尊が立っているのは、蓮の花びらが散り終えた後に残る蕊が重なった臼型の蓮台です。
これらの全ての特徴を備えたもの仏像を「善光寺式三尊仏」と呼び、全国各地にある善光寺のご本尊として安置されています。
写真において、前立本尊阿弥陀如来の右手に金の糸が結ばれています。この菌の糸は、善光寺本堂前に向かって堂の天井を這い、途中から五色の糸(青・黄・赤・白・黒の五色の色を撚ったものを「善の綱」という)に繋がり、本堂外に出るときには白い布に結ばれ、さらにその白い布が回向柱までずっと続くのです。
このため、善光寺の御開帳で本堂前に建てられる回向柱に触れることは、前立本尊に触れ、結縁を結ぶことができるため、参拝者は回向柱に触れるわけです。
善光寺式阿弥陀三尊像の代表的作例
善光寺式阿弥陀三尊像は、鎌倉時代から室町時代にかけて盛んに作られており、現存しているものがいくつかあります。
有名なものとしては、福島県いわき市が所有する「銅造阿弥陀如来及び両脇侍像」(重要文化財)があります。
御本尊の大きさと重さ
善光寺の前立本尊の大きさは、中尊が42.4センチ、左脇侍(観音菩薩)が30.5センチ、右脇侍(勢至菩薩)30.2センチです。御本尊も同じ大きさと考えられますので、そんなに大きなサイズではありません。
重さが正確に測られたことはないようです。
しかし、善光寺の御本尊は竜宮城の閻浮壇金(えんぶだごん)でできていると言われていますので、非常に重いという話が伝わっています。
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