女人禁制の時代
「伊勢参りは男の旅、善光寺参りは女の旅」と言われることがあるそうです。
かつての日本では、明治初年まで多くの寺は厳格な女人禁制を貫いていたそうです。特に、比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺が有名であり、女性は修行の障害になると立ち入りまでを禁じていたと言われています。
そもそも仏教では、女性は宗教的能力に劣っており、そのまま仏には成れないという考え方が主流だったらしく、それが女人禁制の理由のようです。そのような中で、長野の善光寺は女性の本堂への立ち入りを認めてきた。これは当時のお寺としてはたいへん珍しいものだったと言います。
善光寺縁起には、女性が繰り返し登場します。
例えば、写真にあるのは長野駅前広場(JR長野駅、善光寺口)に建つ如是姫像ですが、如是姫は善光寺縁起に登場する人物で、善光寺の御本尊である阿弥陀如来に助けられた経緯を持ちます。ですから、現在も長野駅を瀬に向ける形で、善光寺の方向を向いて香花をささげています。
善光寺縁起に登場する皇極天皇は女帝
さらに、善光寺縁起では、阿弥陀如来により地獄にいる皇極天皇が救われたことも語り継いでいます。皇極天皇とは、飛鳥時代の女帝です。
また、有名な言葉に「牛に引かれて善光寺参り」がありますが、この牛に引かれて善光寺参りに登場する主人公は、お婆さんです。お婆さんが牛に引かれて善光寺に連れてこられ救わる訳ですが、この牛は如来様の化身だったとされます。
善光寺を管理する大本願のお上人は女性
このように、善光寺縁起では女人救済を積極的に唱えているのです。また、善光寺の管理運営にたずさわっている大本願の住職であるお上人様は女性であり、昔から女性が勤めるということが引き継がれているようです。お上人様は現在も、多くの女性の信仰を集めています。
確かに、善光寺にはたくさんの女性の参拝客がいますが、これは昔からの流れのようです。善光寺は女性も受けいれ、そして宗派も問わない懐の深いお寺であると言えます。
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