鐘楼【梵鐘】

長野善光寺の鐘楼



武田信玄が甲斐まで運ばせた梵鐘

本堂に向かって手前右側にあるのが鐘楼です。

現在、信州善光寺にある鐘楼は、寛永7年(1667)のもので、建物は嘉永6年(1853)に再建されたものです。

もともとの銅鐘(大鐘)は、正和2年(1313)につくられた物で、治承3年(1179)と文永5年(1268)の善光寺火災の際に、火を受けて修理されています。

そして、このもともとの銅鐘は現在も現存していますが、今は甲斐にある甲斐善光寺にあります。

ライトアップされた善光寺の鐘楼
善光寺鐘楼の立札

なぜ、信州善光寺にあった銅鐘が山梨に現在あるのか、ということですが、これは有名な川中島の戦い(長野市)が影響しています。

上杉謙信と武田信玄によって起こされた川中島合戦の際、武田信玄は善光寺如来を甲府に移します。この時、善光寺の本尊から梵鐘・仏具まで全部を移したと言います。そして新たに甲府に建てられたお寺が現在の甲斐善光寺です。(甲斐善光寺とも甲府善光寺とも言われる)

その後、戦国武将によって善光寺のご本尊は各地を転々とし、約40年後に信州に戻ることになります。この、各地を流転するきっかけが武田信玄なのです。

この時に、甲斐善光寺には信州善光寺から運ばれたものがたくさん残りました。銅鐘もその1つです。銅鐘は重さ150キロもありますが、これを長野から甲府まで運んだのです。その際、小さな傷が無数についたため、「ひきずりの鐘」とも呼ばれています。