善光寺はたび重なる火災に遭遇しています。その数、記録に残っているだけでも11回。しかし、その都度善光寺は再建されてきました。
必ず再建されてきた善光寺の魅力
善光寺は長い歴史の中でとてもたくさん火災に遭っています。その数は、記録に残っているだけでもなんと11回。しかし、驚くことにその都度火災のあとに善光寺は再建されています。
平家の凋落と通して、この世のはかなさを強調するために善光寺炎上が有名な平家物語の中で語られているほど、善光寺はよく焼けています。火災にあった善光寺の復興を果たした人物はたくさんいますが、有名なのは源頼朝です。
治承3年(1179)の火災で、伽藍が全焼していますが、そのとき復興に力を入れたのが源頼朝です。ですから、源頼朝は善光寺の恩人とも言える人物なのです。
また、正和2年(1313)にも本堂などが焼けました。この時は、驚くことに如来堂の再建に使用された材木が自ら飛んで集まったと言われています。この話は当時大変に評判になったそうです。
善光寺は火災に遭うたび、本堂の建物が大きくなっていきました。これは、「善光寺の焼け太り」とさえ言われています。地方にあるにもかかわらずたび重なる再建が可能だったのは、庶民の支えも大きかったのです。今の本堂は宝永4(1707)に完成していますが、大半は庶民から集められた費用で再建されています。
それでは、善光寺のご本尊は火災の時はどうなったのでしょう。これは、そのつど運び出されていたと言われています。
本堂跡地にある延命地蔵尊
善光寺参道の西側に延命地蔵が安置されていますが、草創以来、そもそもここに善光寺の本堂があったのです。


このような背景から、延命地蔵を「堂跡地蔵」とも言っています。
延命地蔵尊は、善光寺の仲見世通りにあり、見落としてしまうことも多いのですが、参拝時には忘れないようにチェックしてください。
延命地蔵尊が向かっている先には、釈迦堂があります。
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