武田信玄開基の甲斐善光寺



    



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川中島の合戦で武田信玄が甲斐に善光寺を移す

信州善光寺にあったご本尊をはじめ鐘楼、仏具に加え、信州善光寺のすべての僧侶が一時移った場所、それが甲斐善光寺。

善光寺は戦国武将とも非常に関わりが深いのです。

信州では有名な川中島の合戦。戦国時代の武田信玄と上杉謙信の戦いのことですが、川中島というのは信州長野善光寺がある場所からほど近くにあります。

当時、武田信玄は川中島の合戦が長引くことにより戦火が信州長野善光寺の及ぶのを恐れて、ご本尊をはじめ鐘楼や仏具、僧侶までを安全な場所へ移しました。永禄元年(1558)のことで、移した地と言うのが甲斐(山梨県)です。この時の場所が、現在の甲斐善光寺なのです。

これを機に、善光寺のご本尊は全国各地を転々とし、約40年の流転を経て信濃(信州長野)へ還ります。

甲斐善光寺のご本尊は、かつての信州長野善光寺の前立本尊であり、銅造阿弥陀如来像(重要文化財)となっています。

銘のある善光寺式阿弥陀三尊像の中では最古のものであり、ほぼ等身大(阿弥陀如来147.2センチ)という善光寺仏としては例外的な大きさで有名です。

ご本尊を納める厨子は通常は閉じており、御開帳で特別に公開されます。

甲斐善光寺は、江戸時代本坊3院15庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家の位牌所にもなっていました。寛政8年(1796)に再建された鐘木造り金堂は日本有数の木造建築で、重要文化財に指定されています。

また、金堂中陣の2匹の巨大な龍が描かれた天井部分は吊り天井となっていて、手をたたくと「鳴き龍」とよばれる共鳴現象が起きるようになっています。この大きさは日本一と言われています。

他にも、有名な「引きずりの鐘」と呼ばれる梵鐘があり、これも信州長野善光寺より伝わったものです。


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