お釈迦様と信州長野善光寺の一光三尊



    



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お釈迦様と阿弥陀如来様

信仰を集める善光寺の一光三尊仏の生い立ちとはいったいどのようなものでしょうか。

昔、天竺(インド)の毘舎離国に月蓋長者という大金持ちがいて、如是姫という娘を溺愛していました。

あるとき、流行病が起こり、如是姫に伝染してしまいました。この長者はとてもケチで、お釈迦様が家へ托鉢に来られたときも何も差し上げなかったような人物でした。しかし、不治の病いに見舞われた如是姫のために、長者はお釈迦様のもとへ命乞いに行きました。すると、お釈迦様は「西方の極楽にいらっしゃる阿弥陀様に向かって、南無阿弥陀仏と唱えなさい」といわれました。

長者は家に帰ると、西方に向かって香華燈明を供え、念仏を唱えること10回。すると、御身の丈1尺5寸の阿弥陀如来が現れ、光明を放たれました。その光が如是姫の枕もとに届いた瞬間、国中の病人が全快してしまいました。

月蓋長者は、娘の全快に感激して、霊験あらたかな阿弥陀仏のお姿をお写ししてこの世にとどめようと思い、お釈迦様に相談しました。

お釈迦様は、せっかく作るなら一番りっぱな金-竜宮城にある閻浮壇金-で作るほうがいいとお考えになり、弟子の目連を竜宮城へ遣わされました。竜王はなかなか承知しませんでしたが、目連に説得されて閻浮壇金を献上することにしました。

目連はこれをお釈迦様に差し上げ、お釈迦様はこの金を鉢に入れてお祈りをしました。すると、西方から阿弥陀如来が現れて、光明が閻浮壇金を照らしました。金は湯のように沸き立ち、観音菩薩像と勢至菩薩像を伴う一光三尊の姿になりました。これが、後に善光寺如来として信仰を集める仏様になったのです。月蓋長者は立派なお堂を建て、この阿弥陀様を安置して礼拝しました。

阿弥陀様は天竺で多くの人々を救った後、百済国へと渡られました。

>>後編に続く


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